キッチュでポップなサブカル時代到来の予感
いよいよ完結編を迎えた超大作「STAR WARS」を、もはやサブカルなどと呼ぶ人間はいない。
しかし、今から27年前の1978年の初夏、日本初公開された「STAR WARS」(エピソード4・「新たなる希望」)は、
いわゆる夏休み子供向けSF映画と思っていた世間一般の認識とは異なり、高校生や大学生を中心とする
SFファンから絶大なる支持を得た。
単純明快な勧善懲悪のスペースオペラを基調としながら、ダースベイダーのコスチュームや呼吸音、
数々のスターシップのメカニカルデザインと特撮、そして何と言ってもライトサーベルという発想の斬新さに、
映画館で歓喜の声をあげる大学生集団も現れ、やはりこの年の初めに日本初公開の「未知との遭遇」と共に、
宇宙SFの2大エポックと称された。
この「未知との遭遇」は70年代のUFO宇宙人ブームにも乗ってシリアスな期待感を抱かせたが、無機質な鉛色の金属飛行物体が定番だったUFOを、
あろうことか光と音のファンタジーに包まれた満艦飾の巨大マザーシップとして登場させたスピルバーグに、観客はド肝を抜かれ、
まだ見ぬ地球外生物とのコンタクトを夢幻の中に現出させた。
折りしもインベーダーゲームが流行の頂点を極めたのもこの年であり、街中で高校生や大学生がピコピコ音を鳴り響かせ、
あのYMOが「インベーダのテーマ」も収録したアルバムでデビューする。
そしてさらにはその前年の1977年、「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映がスタート、その翌年の1978年には、
日本中の中学生から大学生までもが涙を流して合唱するという珍妙な光景が見られた劇場映画フィーバーがあり、
同じ松本零士原作による「銀河鉄道999」もTV放映スタート。主題歌はヤマトと同じく「ささきいさお」が起用されたが、
1979年の劇場映画公開時にはゴダイゴによる、まさにギャラクシーなSF版JR東海ソングが大ヒット。
70年代後半はにわかにSFとアニメのオタク文化が隆盛を見せる。月刊誌「OUT」の創刊も1977年であり、
翌1978年には「アニメージュ」が創刊され、さらにその翌年1979年に、あの「ガンダム」第1シリーズがテレビに登場する。
これら一連の宇宙SFブーム、アニメブームが世間に認知されるにつれ、「オタク」という言葉が
80年代のキーワードとして意識され、やがて「コスプレ」だの「コミケ」だのといった濃い用語も
急速に一般に知れ渡るようになる。そして「ニュータイプ」だ「コスモクリーナー」だといったマニア世界が
いつしかサブカル宗教と言われたオウムに具現化し(教団幹部のアニメ嗜好や世代構成が話題となった)、
70年代オカルトブームとカウンターカルチャーの融合が形を変えて80年代に出現する。
70年代の情念渦巻くアンダーグランド志向が、その反動から80年代の明るい軽薄短小志向に変わる時、
まさに鬱病期から躁病期へと転換する患者のような、病巣はそのままに表層的な態度が豹変したかのような印象が、
80年の幕開けにはつきまとう。
1950年前後生まれ世代からバトンを渡された1960年前後生まれ世代が、キッチュでポップでサブカルであることを肯定し、
やがて確信犯としての文化創造がなされてゆくことになる..........